こんにちは、けいたろうです。
最近、世の中はなぜこんなに不平等なのか?と言う声をよく聞くようになりました。
今回は「不平等」という人間社会の歪みについて深掘りしたいと思います。
社会はなぜ不平等なの?そもそもスタートラインが違う
世の中には平等論を展開する人がいます。
公務員や学者として活躍するのであれば大変素晴らしい事だと思います。確かに法律上はそのような考えが必要になるのは分かります。
しかし、現実世界ではあり得ないのです。
すでに生まれた段階で、「親の所得」という不平等が発生するわけですよね。
当然、親の所得が高ければ学業などをするのに圧倒的有利ですよね。塾や家庭教師を付けれることもあります。
その上勉強のできる親であれば、勉強のやり方を知っているわけです。子供はその親を見て育つ訳ですから、自然と学力が身に付くわけです。
これはどうにもならない現実ですよね。

それと、私の住んでいる「島根県」と日本で最も人口が集中している「首都圏」では経済や都市機能において雲泥の差があります。
※もちろん島根県内でも場所によって違ってくることもあると思います。
このように生まれた場所によっても不平等が生じている訳です。
生まれた環境や場所がこれほど違うという事は、生まれた段階で「不平等」なのです。「不平等」を何とかしてくださいと言うのは無理な話ですね。

学校時代のクラスで考える

小学校中学校と地元の公立学校に通っていました。しかし、とても平等という訳ではありませんでした。
やはり、やはり親の所得などに大きな差がありました。それだけでは無く、身長や運動能力や学力的思考能力などにおいて、どう見ても「平等ではない」と言わざる負えませんでした。
● 学校で不平等と感じたこと
・学力や知力の差
・運動能力や身体の差
・親の地位
スポーツの世界で考える

バレーやバスケットをするなら背が高い方が圧倒的有利だし、勉強だってIQが高い方が圧倒的に有利です。
しかし教員はテストの結果だけを見て、努力しているかしていないかを判断しているように思えました。元の条件が平等ではないのだからどうしてもこうなってしまう訳です。
特に数学のような論理性を求められる科目の場合、やり方が悪いといくら時間を増やしても点は上がりません。
結果だけを見て「勉強していない」と決めつけるのはおかしい気がします。
実際にどこを理解していないか?と言うところまで聞いてきた教員は一人もいませんでした。
今、考えてみると教員の無知が良く分かります。
大体、親が富裕層で学力の高い子供は、塾などで授業内容を先取りしています。学校の授業なんて聞いていなくても点が取れる訳ですからね。
むしろ、学力の高い子供からは「勉強が簡単すぎて退屈だった」という声までありました。
これは勉強の話ですが、他の分野でも言えるのではないでしょうか?

平等を目指すとかえって苦しい
世の中は生まれた段階で既に「不平等」なのです。
だからといって、「平等」にしてくれというと苦しくなるだけです。
例えば、背の低い人が背の高い人と同じようにバスケットやバレーで活躍してくれと言うのは無理があると思います。
背の低い人が必死でバレーやバスケットに力を入れている例はあります。しかし、レギュラーにすらなれず終わってしまう例が多数です。
逆に背が高いだけでバレーやバスケットの試合に出場された例もあります。
もちろん、爆発的な運動能力なの物を持っていれば別ですが、そのような例は極一部の例です。
善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり
孫子の兵法で「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり」とあります。
背が高いならバレーやバスケットでは有利ですし、IQが高いのなら学問の分野で有利ですよね。
人間は生まれた段階で、環境や能力において不平等です。それなら、勝ちやすい所で勝負するようにしてください。
今あなたがいるところは勝ちやすい所ですか?
孫子の兵法を漫画で分かりやすく解説した本です。
「百戦不敗の戦略を説いた「孫子」の教えを人生・ビジネスにいかに活かすか。」という内容になっています。このブログで紹介した「善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり」についてもより詳しく理解できると思います。

